マジック・ジョンソンとラリー・バードの時代!



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1980年代に入っても人気低迷にあえいでいたNBAを救ったのは、
マジック・ジョンソンとラリー・バードの、2人のスーパースターだった。



大学時代もライバル関係にあり、全米大学選手権決勝で激突した際は、
マジック・ジョンソンのミシガン州立大学が勝利を収めた。



マジックがレイカーズ、バードがセルティックスと、
それぞれ名門チームに入団したことも大きく、
80年代の優勝の内、レイカーズが5回、セルティックスが3回優勝と、
この両チームで分け合った様なものである。



しかも、残る2回もレイカーズはファイナルに進出しており、
80年代のNBAは、この2人のスーパースターと、
チームのためにあったといっても過言ではないだろう。



マイケル・ジョーダンを始めとする、
次世代エース達が大量に入団したのは、80年代中盤のことで、
これらの精鋭の挑戦を退けながら、ファイナルで激突する、
両雄の姿に観客は熱狂し、NBA人気は飛躍的に伸びていった。



その象徴とも言えるシーンとして、1984年セルティックスが、
レイカーズを第7戦までもつれて破った際、試合終了のブザーが鳴り終わらない内に、
大勢の観客がコートになだれこんで、選手をもみくちゃにしている姿が、挙げられる。



新設チームも次々と増え、80年代末にはチーム数が27にまで伸びていった。



忘れ去られがちだが、1981年のドラフトで、当時住友金属所属の岡山恭崇が、
ゴールデンステイト・ウォリアーズから、ドラフト指名を受けている。



日本人初のことだったが、入団することなく終わっている。



もしこの時入団していれば、その後のNBAの歴史における、
アジア人の経歴も、変わっていた可能性がある。



2m30cmの長身で、NBAの世界でも体格的に、
見劣りすることはなかった岡山選手。



今となっては残念な出来事である。







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